日記170308
- 2017.03.08 Wednesday
- 22:45
今日も一日が終わっていきます。
終わりがけに心が締め付けられる気分になる。
もう夜も遅い時間になって淋しさがこもります。
なにを思いなにをしているん。
インスタグラムの写真を見ています。
素敵な写真になってきたと思っています。
でもぼくの気持ちって伝わっているんでしょうか。
あれから一年がたってしまいました。
今日は粟田神社へ行ってまいりました。
今日も一日が終わっていきます。
終わりがけに心が締め付けられる気分になる。
もう夜も遅い時間になって淋しさがこもります。
なにを思いなにをしているん。
インスタグラムの写真を見ています。
素敵な写真になってきたと思っています。
でもぼくの気持ちって伝わっているんでしょうか。
あれから一年がたってしまいました。
今日は粟田神社へ行ってまいりました。
二泊三日で昨年11月以来、久々の金沢行きでした。
あいにく雪がちらつき、気温も5度と寒い日でした。
写真も最近はあまり撮ってなくて、スマホ写真にして。
旅の途中で痕跡を残す程度に写真を撮ってネットにあげる。
だいたいの物語になるようにと、手掛けています。
フォトハウス写真研究会の名称にしました。
あらたなグループとして、立ち上げ、運営していこうと思います。
それと、どこかで学校を開校したいと思うところです。
なにやかや、春になって、新しい枠組みが動いたらいいなと思う。
なにより、現状にコミットしていきたい、勉強したい、と思う。
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モノクロフィルムをデジタルデータにするスキャンを行っています。
かれこれ五年越しになると思うのだけど、それのなかの一枚がこれ。
京都の竹の子族といえばいいと思うけど、当時東京では原宿でしたっけ。
1980年代の初めくらいに中学生か高校生だか、たくさん集まってましたね。
ラジカセで音楽を流して、輪になって、なにを踊ってたのだったか。
ぼくらが中学生のときはツイストが流行って、音楽室で踊ってました。
1960年代、フォークダンス、歌声喫茶、他愛ないといえば他愛なかった。
いまは、この子らのこと、JCとかJKとかと呼ぶんですね。
昔も今も、基本的には変わらないと思うけど、外面の世相風俗が変わる。
これは京都の円山公園での一コマです。
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安吾の戯作者文学論を読んでみてびっくり、漱石をこき下ろしている。
戦後まもなく1947年1月「近代文学」に発表となっている安吾の日記だ。
そのなかで、漱石の作品が全然肉体を生活していないことに驚いた、と書いている。
そこから漱石の小説をこき下ろすのだが、ぼくは、安吾を、称賛します、素晴らしい。
「こころ」とか「門」をさしているのか、自殺したり、宗教の門をたたいたり、と。
漱石って、なんだかんだと、近代文学の基本で、最高文学じゃないか、世間評価です。
それを、その文学に、肉体がないというのだから、素晴らしい。
かれこれ70年になるけれど、文学は衰退していなくて、えろ文学が隆盛だ。
男と女を扱う小説に、漱石は肉体に肉薄していないというのだ。
漱石とは言わない、文学がそのことを個別具体的に描いてこなかっただけ。
なにかしら、文学が救われたような気になってきて、ひとりニタニタだ。
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寒い日になっています。
昼から傘を持たずに外出したら、雪に降られた。
雨ではなくて、人ではなかったから、しのげましたが。
なにかしら、孤独な感じがして、もう文章もいいか、と。
写真を撮って載せるのも、もういいか、と。
そんなこと言いながら、パソコンの前に座っているのですが。
もう残された年月を思うと、落ち着けないのが事実でしょう。
もう一度、立ち上げたい、フォトハウス、とは思うが、想うばかり。
もう夕暮れ、早いですね、目の前がかすんできています。
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