坂口安吾

  • 2017.02.11 Saturday
  • 11:39

もう忘れてしまいました。

タイトルだけは鮮明ですが中に何が書かれているのか判らない。

そんなもんだといえばそんなもんかも知れないけれど。

これは文庫本、昭和47年改版の堕落論です。

安吾のことはいまさら言うまでもなく無頼派のひとり。

織田作之助、太宰治とならんで坂口安吾とくるわけだ。

十代の後半、二十代の前半、1968年を軸にしての前後数年。

そんな本、結構読んだものでしたが、それがどうしたというのか。

無意識のうちに人格を創ってきたのでしょうか、わからない。

戯作文学、デカダン文学、そんな句をみながら、ぼくのは何文学なのか。

戯作者文学論なんてエッセイがあります、読んでみようかしら。

ぼくには半世紀、50年という年月がすっ飛んでいて、その頃に戻ってる。

感覚も、心情も、と思っているけど実際は、戯けた老人の戯れ言か。

JUGEMテーマ:想い詩

野間宏

  • 2017.02.03 Friday
  • 09:53

揺らぐ自分の価値観に、感情が崩れていくといった感覚です。

暗い絵、なんだろ、ブリューゲルの絵、野間宏、これだ、と思いあたります。

書棚を見てみて、文学大系のなかの野間の集をとりだし「暗い絵」をひろげる。

何時頃に読んだのか、記憶をたどっていきます。

私小説への憧憬から全体小説というか大河小説へ意識が向いてきたころ。

もう大学生になっていたのかも知れません、1968年、そうかも知れない。

「暗い絵」というタイトルが、暗い気分にさせていたその時代に対応していた。

 

文学史、文学評論、そのレベルで小説を語ることはできない。

ぼくには文学を論じるだけの見識なく、知識もないから言葉を紡げない。

感覚的に、かって読んだ小説の紹介くらいならできる。

これは自分の記憶をいまに繋げる記録として、ぼくのための行為だろう。

今年2017年、ぼくは古希を越える年齢で、その時代の記憶を記録する。

このように思って、このような作業を、このブログで行うところだ。

今日は節分、2月3日、釜ヶ崎労働者の路上住居撤去への裁判傍聴にいきます。

 

野間宏という小説家のことは、あまり詳しくは知らないから、論じようがない。

知らないということは、知るように資料を集めればよいということなんだけれど。

いま、そのことを行っていく時間的余裕がない気持ち、いまさらながら、後悔。

まだ未来がたっぷりある年代に、資料を集め、論を立てる、ということを勧める。

写真作家の項目も準備したところで、そのままになっているのには、自戒している。

中途半端な行為に、われながらどうしたことかと思い悩み、気分が落ち込む。

ひろげていこうと思っているけど、八方ふさがりな感じがしてならない。

JUGEMテーマ:想い詩

 

 

梶井基次郎

  • 2017.02.02 Thursday
  • 09:38

この前から気になっていたのが、梶井基次郎という小説家の作品のことです。

檸檬という作品があるのですが、その小説が気になっていたのです。

夢でみたような、朝一番、駆り立てられるようにその作品を探しました。

筑摩の現代文学大系のなかの一冊、合本のなかのひとりが梶井基次郎。

昔読んだきりでしたが、作中の光景は鮮明にイメージされていました。

二条寺町の角にあった果物屋さんの軒先に檸檬があってそれを一個買う。

暗い情景にそれ、一個の檸檬が鮮やかに光っているように見える。

 

作品を読んで、年表を見ると若くして死んでいます、32歳、死因は何なのか。

もう百年も前に書かれて発表された作品ですが、ぼくは17歳の時に読みました。

何よりそれから檸檬という果物が奇妙に好きになり、買っては食べました。

あの酸っぱさといったら顔をしかめてしまう酸っぱさですが、それが好き。

気持ちや心には不思議なイメージの果物ですが、梶井の代表作でもあるみたい。

小説家というとデカダンな生活をする人種だなんてイメージがあるんですよね。

今どきは、小説家は人気人種だから、スマートな生き方をしていると思うけど。

 

ぼく自身の若かりし頃なんて、そういえば、そんな生活に憧れたのかも知れません。

小説を書こうとしていた1960年代、二十歳代のころを思い出してしまいます。

何だったのか、もうこの先少ししかない年代になって、検証しようとしている。

そんなことほっておいたらというけれど、ほっておけないんです、哀れですが。

暗いね、梶井基次郎、そういえば私小説作家というのは、イメージ、暗いですね。

そんな暗さに憧れていた時代があって、ぼくらはそういう世代なんだと思う。

権力手にしないと相手にされないんだと、おもってしまうのも哀れですが。

JUGEMテーマ:想い詩

高橋和巳

  • 2017.01.18 Wednesday
  • 12:14

青年時代のバックボーンとなった作家の一人がまぎれもなく高橋和巳だ。

1968年から1970年にかけて、学生運動で括られる青年の活動の中です。

「邪宗門」とか「我が心は石にあらず」とならんでこの「憂鬱なる党派」。

長編小説ですが、何度も読み返したのは「我が心は石にあらず」でした。

「憂鬱なる党派」は一回切り読んであとは拾い読みでした。

「邪宗門」は高校生の時に朝日ジャーナルに連載されていたのを覚えています。

文庫本になってから全編読みました。奥付を見ると1971年発行です。

 

憂鬱なる党派の主人公は西村という学校の先生だったか、です。

かっての学友たちとの議論があったと思うが、議論の中身は覚えていません。

原爆の被災者の聞き語りを原稿用紙にまとめ、出版社をめぐる西村です。

でも出版されないまま、西村は釜ヶ崎と思われる処に住まうようになる。

消息知った妻が迎えに来るころには、もう誰だかわからないくらいだ。

西村は野垂れ死にするのだったか、残された原稿用紙が紙飛行機にされる。

なんだか、身につまされる物語で、ぼくは釜ヶ崎にて思い出していました。

 

同時代作家で読んでいた小説家といえば、最初は柴田翔、高校三年生のとき。

高橋和巳、大江健三郎、開高健、石原慎太郎、などは浪人になったころから。

1968年に三年遅れで大学に入学して、学園紛争の中、高橋和巳に出会う。

彼が京都大学にいる、立命館の講師をしていた、この近親感がなにより。

遅れてきた青年、大江の言葉ですが、これを自分にも当てはめていました。

文学を目指したい、そう思っていてその翌年春先に東京へいくことになった。

それらから半世紀が過ぎていま、あらためてそれは何だったのか、と問います。

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太宰治

  • 2017.01.11 Wednesday
  • 17:22

気恥ずかしくて面はゆい気持ちで太宰のことに触れていきます。

多くの太宰ファンがいらっしゃるようにぼくも太宰のファンでした。

いま、こうして申し述べることにも若干の抵抗があるけれど、事実です。

友人に勧められて読んだのは、浪人してるころだったように思います。

ということは二十歳を過ぎていたのか、この全集の発行は1967年です。

太宰文学の内容は、触れるに心が堪えられないので、その周辺について。

ショックを受けたのは、人間失格でした、ものすごかった落ち込み記憶です。

 

斜陽は愛読書になりますが、直治のこと姉さんのこと、やるせない気持ちです。

もちろん晩年にあらわされる短編、それから、そのほか、桜桃とか、いいですね。

津軽なんて、名作だと言っているけど、あまり、そうとは、思わなかった。

思い出しました、やっぱり浪人時代に、読んだ、何度も読んだ、繰り返し読んだ。

その後の人生において、何度も、直治のことを思いだしていました。

姉さんに宛てた遺書でしたか、姉さん先に行くよ、なんて短いフレーズ。

死ぬことなんて考えなかったけれど、心の底を支えてもらったようなことば。

 

なんだか女々しくて、太宰のファンだ、なんて言えなくて、心に秘めます。

やっぱり文章を書くのに、太宰は天才だと思います。

ひとを魅了する文章、文体、言葉、単語、文字、それらの組み合わせ。

いまもって、文章を書くときって、けっこう太宰を意識します。

読みやすい、難しくない、そんな文体を求めているけど、そうはいかない。

ええ、いま、第九が、バックミュージックとして流れています。

あと10年、どう生きようか、今日は、知恩院の奥までいってきました。

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堀辰雄

  • 2017.01.07 Saturday
  • 17:28

夏目漱石のことを書いたから、今日は堀辰雄について書きます。

夏目漱石ときたら次は芥川龍之介、系譜でいえば堀辰雄はそのあとですね。

文学史的には、夏目漱石の門下に芥川龍之介がいたんじゃなかったか。

堀辰雄は芥川龍之介の葬儀の場面からはじまる小説を書いています。

この写真の本は、堀辰雄全集第一巻、題字はたしか川端康成さん。

明治大正昭和と文学者というか小説家って仲間なんですね。

それはいまもあるんでしょうね、文壇とかいうやつ。

 

ぼくは高校一年か二年のころ、16歳か17歳のころ、風立ちぬを読んだ。

美しい小説だと思って、その周辺からいろいろと小説を読みだしたものだ。

外国の詩人、リルケとか、アポリネールとか、きっとそれは堀の影響です。

まだ、ぼくは青春で、穢れのない無垢な心だったと思えるんです。

夢のような、とはいっても風立ちぬの節子さんは結核で死んじゃう。

文庫本で読んでいたんですが、高校を卒業したころ、この全集を買った。

買ってもらった、買ってもらってプレゼントしてもらった、親友に。

 

そうだ、そのころの、文学って、純文学っていうジャンルがあった。

純文学に対して、純でないのは、どういう文学なんだ、といま考える。

奇譚クラブなんかに掲載されていた小説は、たぶん純文学じゃない。

純文学って、フローペルとかドストエフスキーとかの手法を使う小説なのか。

ちょっとわからなくなってきたね、純文学と非純文学の区分について。

どうしたことか、夏目漱石からはじまって、その前には北村透谷とかいらして。

文学は、小説は、いま、どこにいるのか。

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